伝統的CAIの発展と挫折

1957 スプートニク・ショック(米国)

このように歴史を表現し直すことができます。当時、アメリカとソ連は冷戦状態でした。アメリカ国民の視点からは人工衛星(スプートニクという名称でした)の打ち上げ成功は、宇宙空間からソ連による軍事行動が可能になるということを意味しました。それを大変驚くべきことでスプートニク・ショックと呼ばれました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sputnik_asm.jpg


当時アメリカのケネディ大統領は「偉大な社会の建設」構想を打ち出し、科学技術を進歩させるために科学教育振興法・国防教育振興法により、CAI研究への大量の資金投下が行われました。国家的支援でCAI研究・開発に拍車がかかりました。

日本でもその影響を受けてCAI開発が進展しました。日本では1964年には電気試験所でテーチングマシンは開発されました。下表はそのテーチングマシンと私が持っていた古いPC(10年くらい前のものです)の性能比較したものになります。

当時の技術ではテーチングマシンはすばらしいハードウェア性能を持っていますが、現代のコンピュータから見るとかなり厳しいことがわかります。また、そのようなハードウェアでは理想的なCAIが開発できるのかみなさんも疑問に思うでしょう。実際は現在の電子ブックのような索引機能だけしかもたないCAIシステムは開発されていたようです。

このため、新しい理論、発明、発見、技術等を伴わないCAI研究・開発は高価なコンピュータの使用するに値する性能が実現できない壁にぶつかることになります。

そして、1970年代はアメリカで伝統的CAIに対する批判が大きくなりました。以下はその代表的な物です。

総じて、融通性のない機械的な教授しかできないCAIへの批判と考えることができます。なお、最後の批判はちょっと毛色が違いますが、いつの時代にもこの手の批判が出てくるということで紹介しておきます。

戻る  次へ