平成20年11月7日 更新
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最も基本的な炭化水素であるメタン(CH4)は,正四面体型(Td)構造を有し,四つの等価なC-H結合で構成されています。もともと炭素原子には,球対称の1s, 2s軌道と,互いに直交している2px, 2py, 2pz軌道しかなく,これらの軌道のみからは,正四面体の構造のしくみを説明することが出来ません。そこでポーリングは,sp3混成軌道という考えを用いて,このメタンの構造を説明することに成功しました。私たちが大学の学部時代に習うのも,この混成軌道に基づいた考え方です。
図,メタン分子の構造。
(下記は,石井研,佐々野の計算です)
(詳しくは,足立裕彦先生のDV-Xα夏の学校の教科書をご覧下さい)
一方,分子軌道という考えは,本来は混成軌道とは「相容れない」概念です。しかし,実験事実をうまく説明するためには,分子軌道の方がうまく説明できます。ここでは,分子軌道によるメタンの電子構造を説明します。
結論から言うと,メタンのエネルギーレベルは,下記のようになっています。
メタンの結合性軌道は一重縮退の2a1軌道と三重縮退の1t2軌道に分裂し,同様に反結合性軌道も一重縮退の3a1軌道と三重縮退の2t2軌道に分裂しています。つまり,混成軌道の時のように,「四つの等価な分子軌道が存在する」のではなく,「一重と三重とに分裂する」となります。これらのエネルギーレベルの値は,次のようになっています。
orbital
|
energy (eV)
|
electrons
|
1a1
|
-259.94
|
2
|
2a1
|
-14.56
|
2
|
1t2
|
-7.03
|
2
|
2t2
|
13.45
|
0
|
3a1
|
13.57
|
0
|
また,各軌道の混成の様子は,次のようになっています。
orbital
|
C(1s)
|
C(2s)
|
C(2p)
|
H(1s)
|
1a1
|
1.00
|
0.00
|
|
0.00
|
2a1
|
0.00
|
0.53
|
|
0.47
|
1t2
|
|
|
0.50
|
0.50
|
2t2
|
|
|
0.50
|
0.50
|
3a1
|
0.00
|
0.47
|
|
0.53
|
ここで,a軌道は対称性軌道なので,Cの1s軌道と2s軌道とHの1s軌道から構成されており,t軌道は反対称性軌道なので,Cの2p軌道とHの1s軌道から構成されています。分子軌道で得られる「一重と三重とに分裂する」という結果は,メタン分子のXPSなどの実験結果を良く再現することが出来ます。下記は,ネオン,フッ化水素,水,アンモニア,メタンの各分子のXPSの測定結果ですが,メタンでは,一重と三重に分裂していることが分かります。
出典:"Photoelectron Spectroscopy", by S. Huefner, Springer Series in
Solid-State Sciences 82, Springer-Verlag, 1994, p. 156-158 Fig. 5.9.
ところで,軌道が「一重と三重とに分裂する」ことは,実験事実である「メタン分子が等価な四つのC-H結合を有し,正四面体構造を形成している」事実に,一見反しているように思われます。このことについても,分子軌道では問題なく説明することが出来ます。
その前に,分子軌道法で得られた,各分子軌道の三次元的な波動関数の広がりを説明します。
図,左から2a1軌道と三つの1t2軌道の波動関数。
この四つの軌道を見ても,すぐには「なぜ正四面体構造になるのか?」がわかりにくいと思います。そこで,これら四つの軌道を重ね合わせてみます。
図,メタンの四つの分子軌道を重ねた図。
四つの軌道を重ねると,このような図になります。この図をよく見ると,四つの水素原子と中心の炭素原子との間の結合が,全て等しい条件(波動関数の重なり方)になっていることが分かります。つまり,分子軌道から得られた四つの軌道そのものは,ばらばらですが,四つの軌道の時間的空間的な平均を取ってみると,四つのC-H結合が全て等価な条件になっていることが分かります。そこで,結果的に実験事実である正四面体構造を形成しているものと考えられます。
以下は、兵庫教育大学の小和田善之先生からコメントを頂き、加筆いたしました。
物理的な意味を考えると、波動関数を単に足し合わせるだけでは無意味で、波動関数を二乗すると電子密度になります。下記の二つの図は、それぞれメタンの差電子密度と全電子密度です。
図,メタンの差電子密度(左)と全電子密度(右)。
小和田先生より提供していただきました。
この二つを見れば明らかな様に、四つのC-H結合が全て等価になっていることが確認できます。
以上のことをまとめると、X線構造解析を初めとする一般的な実験から得られるのは、分子の電子密度であり、正四面体対称であることと一致します。一方、XPSの測定では分子軌道のエネルギー準位を直接観測出来るため、一重と三重に分裂することに一致します。どちらも、実験事実です。
謝辞
このページを作成するに当たり、下記の方々に感謝いたします。
泉富士夫 先生
門馬綱一 氏
坂根弦太 先生
DV-Xα研究協会spd部会